V字回復の鍵🔑

「V字回復」っていい響きですよね。

しかし、この言葉が響くのは、けっこう、底にいる自覚がある場合が多いのかも知れません。まぁ、ビジネスは一寸先は闇ともいわれますから、ひとごとではありませんが…わたし自身も絶体絶命とまではいかなくてもそれなりに経験はあります。ちょっと思いつくことを書いてみます。何か共感できるところがあれば実行してください。

このままではマズイ、売上を伸ばそうとシャカリキになってもたいていうまくいかない!経営者と社員には温度差があり、危機感にも当然ちがいがある。
そもそも、これまでのノウハウではすでにダメ、新しいことを不器用にマネしてみてもダメ、なんとも苦しいが、どうにかしたい。
とにかく、会社中のひとのこころが不安で満ちていて、冷え切っている。うまくいくはずがない。まず、こころをたてなおさなければ、どうやって?

小さな成功体験で職場の笑顔を増やすこと!

具体的には、(内心、そんな子供だましみたいな、と思うかもしれないが)

いちばんはじめにやるべきなのは、無駄を省く、しかも、みみっちくて益々つらくなるやり方ではなくて、ものを大切に有効に使うにはの発想だ。

余裕のある時は、大根の葉には見向きもしないし、廃棄するのにお金がかかっていることも考えない、しかし、コレを有効に使えないのか?何か新製品につながらないのか?と考えはじめたら世界が変わる。売上には直結しないかも知れないが、ノベルティには使えるかも知れない、しかも、限定の、誰にでもあげるのではない、というのであれば訴求効果がある。

セコク、ではなくて、面白く考えられるのか、だ。

社長はそんなセンスがなくても、パートのおばちゃんたちに意外とセンスがいいひとがいたりもする。彼女たちは消費生活者と直結している。自身もそうだから。

思いついたら、小さくトライアンドエラーしてみる

できないひとに限って、ちまちましてもしょうがない、バーンといかなくちゃスケールメリットがないなんていう。それがまちがいのはじまり。

50円改善したら明日は100円を目指す。

売上をではない、収益をなのだから儲けに直結する。

そんなことの積み重ねができてきたら、次のステップに進む。

顧客から紹介を引き出す、再販する…つまり、マスではなく、ウチに向かいつつ、確実なステップを踏むこと。

マーケティングの常識は、再販にかかる経費は新規の1/6、紹介はセールスの王道、時代がいかに変わろうが基本はぶれない。



水耕栽培したり、ゴミになる種を植えてみたり、放課後の楽しみみたいなことがひとのこころを潤すこともある。

売上に血眼になってもすぐに成果が上がることは少ない。もちろん、それに越したことはないが、小さな努力を誉められたら、そのひとは、次の努力を続けるものだ。社内全員がそんな気持ちになったら世界が変わるだろう。

恐れにではなく、生命のちからにこころが向かい小さな出来事に共感した時、すべてが変わりはじめる。

ロングラン製品にも終わりがくることもある。

昭和なひとにはおなじみのマーガリンの代名詞ともいえる商品が消える。ここ10年くらいはトランス脂肪酸の件もあって、マーガリンがやり玉に挙がったからしかたない時代の趨勢とも思うが、いちばん大きいのは設備の老朽化らしい。

実は、日本の技術はやはりすごくて、水素添加をしなくてもマーガリンができる、進化していたことを知る人は少ないだろう。ずっと努力してきたのだ。すばらしい。

やめる、というと惜しむ、それなら、その前にジャンジャン買えよ、と思うが、世間様はそうは問屋が卸さない。こうなることを予想して設備投資を控えてきたのだ、計画的な終了。賢い選択だと思う。

まぁ、しかし、分母が大きな会社だからできることではある。

大阪や名古屋の小さい家内制手工業的な小さなお菓子メーカー、駄菓子を製造しているような、そう従業員3人、全部家族みたいなスタイルの、こういう会社の製品を店頭に並べているこれまた田舎の小さなスーパーは、メジャーな製品を大量に仕入れることができないから、ちまちました誰も名前を聞いたことがないお菓子をレジ横に目玉商品として積み上げていたりするが、裏面表示を見ると実にシンプル、今時ちゃんと砂糖を使っていて、○○Kとかテームとかいう恐ろし気な原材料の記載はどこにもない。だから、わたしはこーいうのをごひいきにしている。レシピも創業当時からほとんど変わっていないだろう。がんばってもらいたい。

この世は何が幸いするかわからない。わたしのような裏面記載をいちいちチェックするひとは少数かも知れないが、できないことがプラスにはたらくことだってある。できれば、それを直接消費者にメッセージとして伝えることができればいい。銚子電鉄がおせんべいを買ってください、といったのと同じように。あるいは、卸だけではなく直接箱買いを促すとかできればいい。

もっとも、じーちゃん、ばーちゃんはパソコンが苦手だろうから、若手がいればいちばんいい。

「願おう」願って、戸を叩けば与えられる。これは聖書にも記された法則だから。まずは、自分の置かれた状況を如実に観察できるか、だ。


さて、ラーマ…わたしも子どもの頃ずっとお世話になった。CMも記憶にある。で、このネーミング、ラーマクリシュナかラーマーヤナからきているとしたらスゴイな、と今になって思うがどうですか?知っていたら教えてください。

日本でいちばん古い甘味処といえば、京都今宮神社のあぶり餅、一文字屋和舗、長保2年創業(それっていつ?)約1,000前が知られる。あの、世界の虎屋(パリ店は昭和55年)でも500年くらいだからその倍以上存在し続けてきたなんて。

おそらく、レシピもやっていることもほぼ同じで、もっと効率よくとか拡大してなどとは夢にも考えていない。たぶん、そんな話はいくつも持ち込まれただろうが、興味がないというか、そんなことをするといちばん大事な何かが失われてしまうとわかっているから首を縦に振ることはないのだろう。

わたしが子どもの頃CMで「デッカイことはいいことだ」というセリフがあった、チョコレートだったか記憶が定かでない。当時は、高度経済成長時代といわれ、やたらと拡大していた時期だった、都市化しかり物価しかり。その後そのワーカホリックな考え方はバブルに引き継がれ、ジャパンアズナンバーワンなどといって、調子に乗り、結果とんでもないことになる…

売上を上げよう、ワーワー喧伝してブームを起こそう、として創られた波を起こしてもそれが功を奏すのはいっときのこと。わかっていても、その場しのぎの自転車操業的な営業を続けなければいけないとサラリーマン的、のど元過ぎれば、俺の任期だけ問題なければいい、と思いがちだが、そもそも、昔の日本人はそんな考えをしていなかったのだろう。明治維新からこっち、もう、純粋な日本人はいなくなったらしい。といっても単純に欲望だけの西洋人とは根本からちがうから悩ましいことがいろいろ起きてくる。

あ、そうだ、それがV字回復とどう関係するのか、だ。

つまりね、自分がなぜそれをつくって売るのか、何がうれしくてそんなことしているのか改めて考えたことがあるのかということ。焼餅いやあぶり餅屋さんは、遠くから?参拝に来る人々の休息に、腹ごしらえに甘いタレのかかったお餅なんていいんじゃじゃない?と最初は気軽にはじめたかも知れない。そうして、それが次第に名物になり、みんなからずーっとやってってくださいよ、とお願いもされるようになる。もしかしたら、こんなのかったるくてやめっちまいてぇ、と江戸の職人みたいに感じたことが何度かあったかも知れないが、やめなかった。なぜなら、それが存在価値にまでなっているから。自他ともに感じる存在価値、いや、すばらしい。

場所柄、目に見えないお引き寄せ、ふしぎななりゆきなど真摯に受け止めて来たのかも知れないが、儲けという欲、人気があってスゴイだろうという自己顕示欲だけでは、1,000年も子々孫々1つのことなど続かない。使命をも超えた、すでに、ソコに在るのが当然という空気のような一体感。あるのが当たり前なのはたいへんな重圧感でもあるだろう。しかし、もはやそんなことすら超越している。自然の摂理のように、他力的に、そうし続けるのが当たり前になってしまっている。

商売は、売り手と買い手の需要と供給と習うが、そんなことは表面的なことだ。たいていの会社はお客様のために、ご愛顧にお応えしてというがほんとうなのか?

己の一番純粋な意図はなんであるか、それを考えつくした時、小さいが存在意義が生まれるだろう。最初はみんなコレを持っている。ちょっと売れると調子に乗ってわすれる。たまに、一大ブームを巻き起こしたパンやケーキやetc.なブランドにまでなった会社があっという間に一瞬にしてなくなってしまう。お前さんそんなことがしたかったワケじゃないんだろう?と思うよね。

意識は、素粒子だから、いったん想起したことはエネルギー保存の法則でずっと存在し続ける。良いことを思えばよいことが起き、ずるいことを思えばそのうちしっぺ返しがくる。よろしくない方向にまわるには理由があり、よろしくないきっかけがあったのだ。しかし、また、それは、ピンチがチャンスでもある。考え方を変える改めるきっかけになるのだから。

意識や考え方が変われば、路線は一瞬にして変更される。

V字回復したいなら、先に、こころがV字回復しなくてはいけない。小さな喜びでも小さな存在意義でも急速に雪だるま式に大きくなることもある。ほんとなんだよ。この世のあの世の宇宙のすべてのものは同じ法則性に生きているのだから。

見るのは目の前の数字じゃない